先日ニコニコ超会議でマジック&催眠術のショーをしました。。

またその後に海浜幕張駅の駅前広場でストリートパフォーマンスも。

 

この2日間を通して私達は一度もマジックをする前に「種も仕掛けもありません」と言ったり、道具を改めさせることは一切しなかったという話です。

 

“追いかけられてもいないのに、走り出してはならない”というアル・ベイカーの格言があります。

 

例えばフィクションのミステリー作品である人が突然自分のアリバイを語り始めたらどう思うでしょうか?

 

種も仕掛けも無いという発言さえなければ、そもそも疑っていなかった人は種や仕掛けについて何も考えなかったのかもしれません。

疑われていないのに自ら潔白を証明しようとするのは愚かだと私は考えています。

 

更にカードマジックをする時は一度もカードを混ぜていなかったのですが、知人などに聞いた所、私がそのことについて言うまで気が付かなかったそうです。。

2日間通して一度もカードを混ぜていないにも関わらず。

 

単に箱からカードを取り出してから表向きにスプレッドするだけ。それからマジックをやり始めています。

 

数人居たマジック経験者からも「あり得ない」と言うリアクションを頂いたマジックをしたましたが、彼らも全く道具については疑いを持っていませんでした。

 

実際使っていたのが写真のカードで、秘密の印を描く余地がないシンプルなデザインのカードだったのも関係ありますが、事前にカードをシャッフルしていない事は全く気にも止めなかったようです。

 

ギミックを使えば非常に簡単に出来ると経験者なら分かるであろうマジックだったのにも関わらず誰一人としてそこにツッコミを入れる人はいませんでした(実際にギミックを使ったかは秘密ですがw)

 

何の先入観も無い一般の方でも、カードについては何一つ疑いを持たなかったようです。

 

というのも、一般家庭においてある開封済みのカード(トランプ)を取り出して見て、毎回綺麗にA~Kまで、或いは特定の順番に並んでいるということは中々レアケースのはずだからです。

 

やや逆説的ですが、客が自由に選んだカードが当たるということに直前直後のシャッフルは必要なのでしょうか?

 

私は必要が無いと考えています。

種も仕掛けも無いカードを取り扱うなら、箱から出して表向きに1度スプレッドすれば順番がバラバラなのは見て分かるし、テーブルに数秒置いておくだけでギミックも疑われなくなります。

 

カードマジックをしていてカードそのものを疑われる時は、カードに長く触れすぎている可能性を疑ったほうが良いです。

 

私の場合、カードマジックをする時は極力カードを動かさないようにしていますし、テーブルがあるなら極力テーブルに置いたままにしています。これは、触れば触るほど、動かせば動かすほど疑惑が増えていくからです。

また、観客がすぐ触れそうな場所に置いておくのも有効でギミックを疑われ難くなります。

 

重要なのは「種も仕掛けもありません」と口で言うのではなく、態度で示すことだと思っています。

 

メンタル系の現象と同じで、暗に示すことが重要なのです。

 

人は他人に言われたことよりも、自分で気がついた事の方が優先順位が高い傾向があります。もちろん相手が地位や身分のある人であれば話は別ですが、マジシャンが言うことを素直に信用する人なんてのは多くは居ないはずです。

 

カードの話に少し戻りますが、スプレッドして表をすべて見せるのは「百聞は一見に如かず」という言葉にうまく当てはまるかと思います。

 

これはカウントを使ったマジックでも言えることで、マジシャンは何故か4枚のカードを4枚としっかり数える人が多くいますが…

はっきり言ってこれは変で、4枚程度の枚数は見て分かりますし、そもそも4枚数える時は1枚ずつカウントせずに広げてカウントするはずです。パケット・トリックが好きな人がこの文章を読んでいたら申し訳ないのですが、私は違和感だらけのパケット・トリックはあまり好まないし、滅多にやりません。

 

まぁそれを言ってしまうとデック中央に入れたカードが1番上に来るアンビシャスカードというマジックも同じで、デックの1番上にあるカードを1枚だけめくってデックの上に置き直すという動作も実はマジック以外ではほぼやらない動作だったりするんですけどね…

アンビシャスカードもブームがあったとは言え意外と変なマジックなのですが、テレビでよくやられているという理由でたまにやることはあるし、パケット・トリックは単に心情的に気に食わないとも言えますが…

 

話を戻します。

「種も仕掛けもありません」と言う前に、ギミック感や技法感等の普段はやらない違和感のある動作を消し去る努力をした方が良いというのが私の考えです。

 

私のマジックその両方の感じがほぼ無いと知人によく言われますが、これは実際使っているテクニックが見た目的に変化があまりないものを好んで使っているという理由もあります。

 

少し専門的な用語が出てしまいますが、2日間を通して私が使ったカードマジックのテクニックはサイコロジカルフォース(特にクラシックフォースを)、ブレーク、パスの3つしか使っていません。

シャッフルは一度もしていませんし、ダブルリフトなんてものも使ってはいません。

 

これは私の嗜好と技術的な問題もあるのですが、ダブルリフトを連続でやるよりもクラシックフォースをするほうが簡単で失敗するリスクが低いからです。

 

そして、ダブルリフトもアンビシャスカードと同じで普通カードの表を確認しようとしたらそういうめくり方はしないだろうというのが多くあります。

ただでさえ普段はやらない特殊な動作なのに、日本では違和感だらけのダブルリフトをする人が多いように感じます。

違和感に違和感を足してしまう癖は多くのマジシャンにあると思われます。

 

そんなことをしたら技法を疑われるのは当然なはずなのに。

 

また、これはマーケティング手法で言われていることでもありますが、最近の一般人は智慧を付けていて、以前通用していたテクニックが周知されて効果が薄くなってきているそうです。

マジック界でも同じ様な事が起きているように感じます。

 

ダブルリフトやブレーク、ティルトは既にマジックを少しやったことある人、見たことある人なら知っている可能性がある技法になっています。

だからそれらを主軸としたマジックは演出に工夫を入れない限り通用しないと私は考えている。考えた結果先日やったような手順に落ち着いたわけです。

 

「種も仕掛けもありません」というのはリスクです。

本当に種も仕掛けも無いのであれば言っても良いのではないか?という意見もありそうですが、種も仕掛けもある物を使う時に同じセリフを吐く時に声に違和感が出るかもしれません。

(マジシャンの罪悪感とも呼ばれますが、それについては別の機会に)

 

むしろ、実際に種も仕掛けもない場合にこそ、その言葉を使うと余計に手元を注視されるリスクがあるはずです。

両方の可能性を残しておいたほうが推測されにくくなりマジシャン側が優位に立てると私は考えています。

 

結論:

種も仕掛けも無いと言うくらいなら態度で示すべき。